陸前高田

d0228130_5521915.jpg9日の朝10時頃の新幹線で、「盛岡」から「水沢江刺」に向かう。
「水沢江刺」駅でレンタカーを借り、山を超えて、陸前高田へ・・・

市街に入る前に、知人の息子さんのお骨が有る、知人のご主人の実家へ立ち寄り、お線香を手向けた。

そして、市街へ・・・

d0228130_5524879.jpg街は・・・
そこに街は無かった

陸前高田は何も無いただただ果てしなく平らな土地が広がり
所々にガレキの山

d0228130_5533062.jpg何も無いから音が無い

寂しく哀しく虚しく・・・
恐ろしい
言葉が出ない

d0228130_5545345.jpg「無い」だけが「有る」空間が
そこには広がっていた

ハンドルを握る手が汗ばむ
視界が涙で滲んだ


d0228130_5554594.jpg知人の長男と、100何十人もが亡くなった津波で命を落とした現場は、その時間を指したまま、時計が止まっていた。
体育館は、まだ片付けも取り壊しもされておらず、その時のまま、空気が凍りついている。

見上げると、20メートル以上の高さの天井に、剥き出しの鉄骨。


d0228130_5555835.jpg津波はその高さまで達し、まるで洗濯機のように、円形コロシアム状の体育館の中で渦をまいたと言う。
たまたま、何かに捕まって、天井に浮き上がって鉄骨に引っかかり助かった人は、たった3人。

でも、その内の一人は、あまりに恐ろしい光景に、今でも精神を病んだままらしい。



街は何も無い。

それでも、仮設には生活があった。
「当たり前の日常」がそこにはあった。
六畳二間で、知人と、高校2年、小学校4年の娘が暮らす。
勉強机を置くスペースが無いから、こたつで勉強もして、ご飯も食べる。
彼女の夫は、職場が近い実家で暮らしている。

夕飯にカレーを作って、子供の宿題を見て、お風呂に入って、川の字になって仮設で寝た。

早朝、来た道を一人、運転して戻る。

雨が激しく降る中、道路はあちこちでまるで沼のような水たまりを作っている。
あれから1年と数ヶ月。
津波で壊滅した街には、それでも、草が芽吹き、小さな花が咲いている。
廃線となった単線の線路にも潮に強い雑草が、花を咲かせている。
これから梅雨。
そして、暑い夏が来て、やがて、秋になり、また雪が降る。

彼女は、息子を亡くした精神的ショックから、やっと立ち直って、最近、物が普通に食べられるようになったと言っていた。

仮設の壁には、長男が微笑む遺影がかけられていた。
1年経ってもまだ納骨できないでいるという。
夕方になると「ただいま~」と、元気な声で帰ってくるような・・・
毎日そんな気がしているという。

「こんなに思っているのに、夢にたった3回しか出てきてくれなくてぇ・・・」
そう言って、彼女は涙ぐんだ。
[PR]

by mizunomari | 2012-06-10 05:14 | デイリーコラム | Comments(2)  

Commented by 迷宮 at 2012-06-12 00:20 x
虚無が恐ろしいのは、そこに「誰かがいるかもしれない」と微かな期待を抱きながらも、「誰かがいた」痕跡しか(あるいはそれすらも)ないから。

絶望にうちひしがれている人に、負担を与えることなく寄り添い続けること、ありきたりの言葉を並べることなく安心感を抱かせることって、とても難しいです。今の私には、残念ながら絶句することしかできません。

本当に、今回の岩手行きは試練(...もっといい言葉があるかも)でしたね。
Commented by mizunomari at 2012-06-12 07:27
何百回テレビで観るより、たった一回でも、直にこの目で見る事の大事さを、わかっていたつもりだったけど、実際は忘れてたんだよね。
事実を目の当たりにしたとき、被災地に対しても、被災者に対しても、どんな言葉も、皆無意味で噓っぽく思える。
言葉では語れないもの(事)の中に有る真実・・・?
人として向き合っていかなくては・・・向き合っていくしかないものの前で、自分の力ってなんて微力なんだろうって思ったよ。

立場は違うけど、迷宮ちゃんもそんな思い医者として、何度も抱くことがあるんだろうね。

<< ギターメンテ 盛岡です。 >>