私は、大学まで名古屋の実家住まいだった。
その後、東京へ出て結婚するまで一人暮らしだった。
一人暮らしがしたいとか、親元を離れたいとか、そういう思いがあったわけではなく、自然の成り行きだった。
ところで、今日の明け方、母の夢をみた。
その夢は、私が経験したことがある日常の一コマだった。
ああ、こんなことあったなぁ・・・と思いながら目覚めた。
それは、子供たち(私と弟2人)が皆独立し、父が亡くなって、母が名古屋の実家で一人で暮らしていた時の事だった。
私が名古屋に帰った時に、母に冗談半分で聞いたことがあった。
「お母さんの夢ってなんかあるの?」って。
その頃の母は80代だった。
そしたら、意外な言葉が返ってきた。
「一人暮らしすることかな?」
「え?今一人暮らしじゃん」って私が言ったら、母はこういった。
「今は、一人暮らしじゃなくて、独りぼっち暮らし」
さらに、名古屋ではない所で、マンションで暮らしたいとも言った。
その後、私は母を自分の住む湯河原に呼び、湯河原で母の一人暮らし用のマンションを借りたのだった。
そこには2年くらい住んだだけで、施設に移ったけれど、念願の一人暮らしが叶って母は楽しそうだった。
左から、生前の母、甥っ子(母からすると孫)、私。母の一人暮らしの部屋で↓
名古屋の母の実家から父と父の父親(祖父)の住む家(水野家)に嫁いだ母。
保育短大を出て少しの間、保母の仕事をしていたけど、名古屋の幼稚園だったから一人暮らしではなかった。
昭和7年生まれの母が、キャリアウーマンにあこがれてた事は生前聞いたことがある。
母の時代だと、職業婦人と言ったのかな?
その時代では、結婚してて仕事を持ってる女は極少数派だったし、そんな女は幸せな結婚生活ではないと偏見の目で見られたりもした。
母は、私が大学卒業後東京に行くことに特別反対はしなかった。
心配はしてたけど。
それでも、住む部屋を探すために一緒に不動産屋を周ってくれた。
それはとても楽しそうだったし、家財道具を買い揃える時も嬉々としてた。
湯河原での初めての一人暮らしは、楽しかったのかな?
短い期間ではあったけど、母の夢を少しでも叶えてあげられて、これで良かったんだよね?
その答えを聞かないまま、母は逝ってしまった・・・