運動会のお弁当

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「運動会のお弁当」」・・・

d0228130_6143525.jpg秋晴れのなか、次女の幼稚園の運動会がありました。お弁当箱はディーン&デルーカの三段重。
運動会のお弁当9マスに分かれている段には、ミートソースのフリッジやプチトマトのマリネなど。
唐揚げ、海老フライ...



・・・すごっ!!005.gif


運動会って今は全国どこの学校もお弁当なのかな?
子供がいないからよくわからないけど・・・。
私の名古屋の子供時代は、小学校1年の時だけ、親と一緒にお弁当で、2年からは、行事食ていう菓子パンに牛乳バナナみたいな簡易給食になった。
でも、今また、子供とその家族で外でお弁当になってる。

ところで、その小学校1年の時の「運動会のお弁当」を思い出すたび、泣けてくる思い出が私にはある。

運動会のお昼時、皆クラスメイトが家族とお弁当を囲む中、私は泣きたい気持ちで、母を探していた。
もう、涙は今にも溢れそうだったけど、学級委員で(当時は)勉強もよくできた私は、泣くのをグッと我慢。
必死で、お弁当を持ってきてくれるはずの母を探していた。
向かいのうちの家族が、そんな私を見かねて、「一緒に食べよ」って言ってくれたのも振り切って、母を探していた。

(当時は)勉強も運動もできた、何かにつけ優秀だったから、母は、どこのうちよりも豪華な手作り弁当を持ってきてくれなくてはならなかった。
そして、皆に「「やっぱ、まりちゃんはすごいね・・・」って言われなければならなかったんのだ。

でも、母は来ない。

もう、不安もマックスに達したころ、ようやく母に会えた。

でも、母が持参したのは手作りの豪華弁当じゃない。
寿司屋の折に包まれた、名古屋で言うところの「助六」・・・
お稲荷さんと、太巻きの寿司弁当。

私は、もうめまいがするほど落胆した。
悲しくて悲しくて、涙とともにお稲荷さんを飲み込むようにほおばった。
一言も口をきかずに・・・。

今にして思えばしょうがなかったのだ。
私には、年子で双子の弟がいる。
幼稚園に行っていたが、家事の段取りが苦手な母は、子育てと三人の子供の世話で、当時の記憶がほとんどないというほど、てんてこ舞いだったという。

皆に羨ましがらような手作り弁当など、望むべくもなかったのに、どうして私はそれが当然だと思い込んでいたのだろう?

母はそれと、早生のみかんを持ってきた。
今ちょうど、その早生の時期。
その強烈な香りを嗅ぐと、必ずあの日に私の心は帰る。
そして、胸が締め付けられるほどの惨めで悲しい気持ちが蘇る。

それなのに、未だに幼なじみたちは言うのだ。
「さすが、まりちゃんちはすごいって思った」って。
助六とはいえ、昭和40年当時、寿司折なんかを運動会に持ってくる親はいなかったから。
それはものすごく豪勢なことだったから・・・。

もちろん、そんなこと当時の私が知るよしもないし、母だって、どうにもならなかったからそうしたのだと思う。

でも、ともかく私には、忘れたくても忘れられない心の傷なのだ。
「早生みかん」の香り→「運動会」→「助六」→「泣きたいくらい惨めな気持ち」

もし、私に子供がいたら、この思い出の反動でひょっとしたら、「キャラ弁」の大家になってたかもね029.gif
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by mizunomari | 2013-10-04 06:50 | デイリーコラム | Comments(0)  

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