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名古屋へ

今日は、母の従妹の法事で、名古屋へ。
従妹と言っても、姉妹同然の関係だった。
母の母親(つまり、私の母方の祖母)の、在所の一人娘だ。
その、祖母は、母が幼いころに亡くなっていて、母は、そのもっと前に父親も亡くしていて、子供のころはよく、祖母の在所に預けられていたらしい。
だから、そこの一人娘である従妹とは、姉妹のように仲が良かった。
母より5つ上で私は「葉子おばさん」と呼んでいた。
葉子おばさんは、父と同い歳。
そして、父が死んで、その2ヶ月後に逝ったのだった。
今日は、その四十九日。

祖母の在所・・・葉子おばさんのうちは、すごい裕福だったみたい。
名古屋の名鉄(名古屋鉄道)の切符の印刷を一手に請け負っていたという「成瀬切符」という会社を経営していたそうだ。
だから、そこの一人娘である葉子おばさんも蝶よ花よと育てれてた・・・と母が言っていた。
葉子おばさんの両親を、母は「おじさま」「おばさま」と呼んでいた。
そのおじさまとおばさまの間に母と葉子おばさんが挟まれて寝ていた、というくらい、母もかわいがられていたみたいだ。

葉子おばさんには、一人息子がいる。
朗君という。
赤ちゃんの朗君を連れて、葉子おばさんが、うちへ遊びに来た時の写真がある。
私は幼稚園くらいかな?
朗君は、はとこにあたるわけだが、一切親交がなかった。
葉子おばさんは、しょっちゅう名古屋のうちに遊びに来たり、母に電話をかけてきてそれに私が出て、話をしたりで、私もかわいがってもらっていたのだけど。

で、その朗君とは、まったく記憶はないけど、その写真のころから、四十何年ぶりかに会うわけだ。
なんかすごく変な感じ。
親せきなのに、そして、葉子おばさんとは、まさにすごく「親せき」って感じを持ってたのに、はとこの朗君に関して私は何もしらない。
それは、母も同じ。
顔もわからない。
それなのに、その朗君と奥さんが住むうちは、母が70何年前に寝泊まりしたうちなのだ。

このことに関して、朗君と、何度かメールでやり取りをした。
その最初のメールのタイトルは「はとこの朗です」だった。
まったく知らない人なのに、間違いなく親せき・・・。
今後、どういう展開になっていくんだろう?

by mizunomari | 2011-05-22 00:30 | デイリーコラム | Comments(0)  

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